ランキングモンスター
現在のHot 100になるまでの経緯はどのようなものであったのか。50年近くに渡り存在感のある大きななチャートであり、大半のポピュラーシングルを毎日いくつかの地域で集計しランク付けしているのである。1940年代から1950年代にかけては、ポピュラーシングルは3つの重要なチャートでランク付けされていた。
- Best Sellers In Stores(小売店におけるベストセラー) - 小売店において最も売れたシングルをランク付けした。アメリカ国内至る所の小売店が集計したものの報告による。(20から50位まで存在)
- Most Played By Jockeys(ジョッキーが最も流した曲) - アメリカのラジオ局で最も流れた曲をランク付けした。ラジオのディスクジョッキーとラジオ局の報告による。(20から25位まで存在)
- Most Played In Jukeboxes(ジュークボックスで最も流れた曲) - アメリカ中のジュークボックスで最も流れた曲をランク付けした。(20位まで存在)これは若者層のリスナーの曲の人気度を測る一般的な方法であり、ゆえに多くのラジオ局はロックンロールミュージックを自分たちが流す曲のリストに入れることに対し長いこと抵抗した。
公式には3つのチャートは同じ「重み」を重要性の面で持っていたのだが、多くのチャート歴史家は小売店におけるベストセラーチャートはHot 100を作成するときに曲の実力を計るものとして優先されたと述べている。
ビルボードはついにはシングル人気チャートを作り上げた。それは全ての面でのシングルの実力を一体化したもの(セールス、エアプレイ、ジュークボックス)であり、ポイントシステムに基づいており、それはラジオでのエアプレイよりもセールスに大きな重みを置いていた。週の終わりである1955年12月12日、ビルボードはThe Top 100を初めて発行した。 Best Sellers In Stores、Most Played By Jockeys、Most Played In Jukeboxesの各チャートも新しいTop 100チャートと共存して発行されていた。
1957年6月17日、ビルボードはMost Played In Jukeboxesのチャートを中止した。それは、ジュークボックスの人気が落ちていき、ラジオ局がロック色のある音楽をプレイリストにさらに加えだしたからである。1958年7月28日で終わる週はMost Played By JockeysとTop 100チャートが発行された最後の週であり、両チャート共にペレス・プラードの「パトリシア」がトップに上昇した。
1958年8月4日、ビルボードは主要な全ジャンルのシングルチャートを公開した。それはHot 100である。Top 100に似ているが、最初のHot 100チャートは全ての曲の「チャート週数」を「1」に戻した。Hot 100は素早く業界の標準になり、ビルボードはBest Sellers In Storesチャートを1958年10月13日で中止した。
ビルボードはそのころからHot 100を制作していて、いまだに曲の人気をアメリカで計るときに基準として存在する。Hot 100は曲のエアプレイポイントとセールスポイント(小売りとデジタル共に)を合わせることでまとめられている。
いくつかのコンポーネントチャートが存在する。チャートの中身はHot 100の集計を助ける要素の一部分である。最も有名なものを以下に挙げる。
- Hot 100 Airplay - (ビルボードによる)約1000のラジオ局において行われる。「アダルト・コンテンポラリー・ミュージック、R&B、ヒップホップ、カントリー・ミュージック、ロック、ゴスペル、ラテン、クリスチャン・ミュージック形式の曲をデジタルで1日24時間、1週間ずっと調べる。チャートは聴衆へ曲が届いた回数で決められ、ラジオの正確なエアプレイ回数をアービトロンの持つリスナーデータを参照にすることで算出している。」
- Hot 100 Singles Sales — (ビルボードによる) 「売れているシングルを小売店、量販店とインターネットによるセールスで計る。そのデータはNielsen SoundScanによって集められ、まとめられ、供給されている。」
- Hot Digital Songs - デジタルのセールスはNielsen SoundScanによって集計されていて、その曲のセールスポイントも含まれている。